Chigita ブログ

狭小住宅の『住吉の長屋』の設計が、独学の建築家・安藤忠雄の世界を大きく変えた。

2021.05.16

K⁺Aでエグゼクティブデザイナーをしております千北 正(チギタ タダシ)ともうします。久しぶりのブログ更新です。今回はわたくしが23歳のころに大変衝撃を受けた建築家と建築作品の紹介です。1976年2月に竣工し、1979年に日本建築学会賞を受賞した、安藤忠雄 設計の『住吉の長屋:東邸』です。


安藤忠雄が4歳の時に疎開先から移り住んだのが、中宮町の住宅と呼ばれる安藤の祖父母の家。中学生のときには増築する手伝いもしたといい、その後、さまざまな手を加えながら45歳まで住み続けたそうです。

そんな中宮町の住宅とほぼ同じ間取りで設計したのが、「住吉の長屋」。狭い路面に位置する三軒長屋の真ん中の一件だけを切り取って、コンクリートの家に建て替えるというかなり大胆なものでした。

狭小住宅でありながら、建築の1/3を中庭とする大胆な構成をとり、当時建築界に多くの議論を巻き起こし、多大な影響を与えた建築家・安藤忠雄の初期の代表作です。

1976年2月に大阪市住吉区(住吉大社の近く)に竣工。敷地は間口2間、奥行7間という(約14坪)狭さで、三軒長屋の真中を切り取って建て替えるという厳しい条件のもとで計画されました。

既存の長屋にコンクリートの箱を差し込むようにできています。この箱は奥行き方向に三分割され、中央に配置された中庭が、この住宅を手前と奥に二分割しています。このため住宅の1/3は外部空間であり、部屋から部屋への移動時に一度外へ出なければなりません。狭い敷地の1/3を割いてまで造った光庭は、都市で失われつつある光、風、雨といった自然の感覚を住居に引き込む装置です。

それによりさまざまに様相の変化する生活空間から自然を感じ、豊かな生活を送れるよう配置させたと安藤は言っています。こうした大胆な構成でありながら、寸法の設定やディテールには緻密な配慮がなされています。人が直接触れるところには自然素材が使われ、床には玄晶石、家具やフローリングには楢(ナラ)材が使われています。この住宅は、ごく限られた敷地と簡素な構成の中に豊かな住空間を内包しようという試みとして建築界に大きな影響を与え、安藤の出世作となりました。

狭小な敷地で梁や基礎の繋がった長屋を切り取る難工事を成し遂げた建築は、45年前の当時、解体費を含めた予算が1千万円程のローコスト住宅でもあったとのこと。

今から45年前、生きることと戦うことをベースに建築を独学し、長屋の設計が世界を変えた建築家が安藤忠雄です。当時の様相をうかがい知ることは出来ませんが、多方面に衝撃を与えたその姿は、今も色褪せていません。

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