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約90年前に竣工した木造モダニズム住宅の傑作「土浦亀城邸」

2024.09.02

―住宅史に欠かせない『土浦亀城邸』が移築・復原―

今回のブログ更新では、建築家・土浦亀城と土浦信子が設計の自宅「土浦亀城邸」をご紹介をさせて頂きます。土浦邸は日本の住宅史に欠かせない住宅として1995(平成7)年に東京都指定有形文化財に指定され、1999年に近代建築の保存活動を行う世界的な組織であるDOCOMOMO JAPANによる最初の20選に選ばれた住宅です。

安田アトリエ(建築家・安田幸一主宰/東京工業大学大学院教授・博士)が建築と監理を手掛け、東京・目黒区から港区南青山の“ポーラ青山ビルディング”の敷地の一角に移築されました。綿密な調査により“色彩の再現”や“家具の復刻”も併せて実施され、89年前の竣工時(1935:昭和35年)に蘇った感動の住宅です。

 

土浦亀城邸リビングルーム 土浦亀城 画1935/出展 田中厚子著「土浦亀城と白い家」(鹿島出版会2014)

▲土浦亀城邸リビングルーム 土浦亀城 画1935/出展 田中厚子著「土浦亀城と白い家」(鹿島出版会2014)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若かりし頃の土浦亀城 /写真出展TOTO通信「現代住宅併走 41」藤森照信

▲若かりし頃の土浦亀城 /写真出展TOTO通信「現代住宅併走 41」藤森照信

 

 

 

 

 

 

 

 

晩年の土浦亀城 1986年/写真出展 土浦亀城アーカイブス

▲89歳の頃の土浦亀城(1986年)/写真出展 土浦亀城アーカイブス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

🔳フランク・ロイド・ライトとの出会いから

東京帝国大学工学部建築学科の先輩である遠藤新と懇意にしていた土浦亀城(1897~1996)は、日本に招聘されたアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの手伝いで帝国ホテルの仕事をしていた遠藤新の仲介で、東京帝大在学中の1922(大正11)年に製図工(図面を作成する仕事)として参加しました。なお東京帝大建築学科の土浦亀城の卒業制作の外観パースも、ライトふうであることがわかります。

▲東京帝大建築学科の土浦亀城の卒業制作の外観パースも、ライトふうであることがわかります。

▲東京帝大建築学科の土浦亀城の卒業制作の外観パース

 

🔳渡米による建築動向の吸収がこれからの出発点

ここでライトに気に入られ、彼が帝国ホテルの仕事を解任されて帰国する際、米国に来るように誘われます。土浦亀城は大学卒業後、3才年下の大正デモクラシーの立役者・吉野作造の長女・信子(1900~1998)と結婚。1923年に夫人・信子と共に渡米します。そしてライトの建築事務所で約3年間の修行時代を過ごし、同僚であったリチャード・ノイトラや、ライトの事務所の元所員であったルドルフ・ミヒャエル・シンドラー(1887~1953オーストリア)やヴェルナー・マックス・モーザー(1896~1970スイス・チューリッヒ)からヨーロッパの新しい建築動向のモダニズムについても多くを吸収します。そしてモダニズムの影響を含め、帰国後やがて変化が現れるのです。それが以下の写真や図面類の1935(昭和10)年の土浦邸(上大崎)の竣工となるのです。

▲土浦邸外観 1935年(上大崎に竣工時)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

▲土浦邸外観 1935年(上大崎に竣工時)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土浦亀城自邸平面図 1935年(上大崎)左寄り、地階、1階、2階

▲土浦亀城自邸平面図 1935年(上大崎)左寄り、地階、1階、2階

 

土浦亀城邸1935年(上大崎) 矩計図

▲土浦亀城邸1935年(上大崎) 矩計図

 

土浦亀城自邸 アイソメ図 画像出展【学科】明日館→土浦亀城自邸→日土小学校                     土浦亀城自邸は,一級建築士「学科」本試験問題としても出題 https://note.com/ura410/n/nff2780ba8bcc

▲土浦亀城自邸 アイソメ図 画像出展【学科】明日館→土浦亀城自邸→日土小学校                     土浦亀城自邸は,一級建築士「学科」本試験問題としても出題 https://note.com/ura410/n/nff2780ba8bcc

 

土浦亀城邸 模型 外観・内観 画像出展:土浦亀城の展示「憧れのモダン住宅」江戸東京たてもの園 2014

▲土浦亀城邸 模型(外観・内観)画像出展:土浦亀城の展示「憧れのモダン住宅」江戸東京たてもの園 2014

 

土浦邸外観 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス上大崎では南向きに建っていたが、敷地の関係で今回は南西向きに変更になった。

▲土浦邸外観(南青山に移築後2024年)/ 写真出展©土浦亀城アーカイブス 上大崎では南向きに建っていたが、敷地の関係で今回は南西向きに変更になった。

 

🔳建築動向のモダニズムの吸収と帰国後の影響

たとえば1931年に五反田、1935年に上大崎に建てた2軒目の自邸は、明らかにバウハウスやル・コルビュジェらの影響を受けたものでした。

創設当時の土浦邸 エントランスと、(右)土浦のスケッチ 1935年(竣工当時)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

▲創設当時の土浦邸 エントランスと、(右)土浦のスケッチ 1935年(竣工当時)/ 写真出展©土浦亀城アーカイブス

 

土浦邸 エントランス 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス玄関の階段を登るとすぐにリビング。玄関には靴を脱ぎやすいよう腰掛けるスペースが設けられている。

▲土浦邸 エントランス 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス 玄関の階段を登るとすぐにリビング。玄関には靴を脱ぎやすいよう腰掛けるスペースが設けられている。

 

室内に置かれた椅子は、ミース・ファン・デル・ローエがバウハウスの校長時代にデザインした有名なカンチレバーチェアー(4本脚ではなく、片側だけで座面を支える片持ち式の椅子)です。

土浦邸 居間・ギャラリー 1935年(竣工当時)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

▲土浦邸 居間・ギャラリー 1935年(竣工当時)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

 

わたし自身は1990年の教職助手時代に、藤森照信が上梓した「昭和住宅物語」(新建築社1990)の一部図面類のお手伝いで上梓された著書の献本を受け、遅ればせながら上大崎の「生き続ける白い箱」―土浦亀城と自邸―の魅力をあらためて知ったことがきっかけでした。

土浦邸 居間・ギャラリー 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

▲土浦邸 居間・ギャラリー 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

 

🔳流れるような空間構成の魅力とその背景

その住宅は白い箱型の外観に加え、リビングの吹き抜けとスキップフロアのある立体的な空間構成です。1階から階段を半分上がると吹き抜けのあるリビング、そこからさらに半分上がると小さなギャラリーがある。さらに数段上がると寝室と書斎へ「流れるような空間構成」が魅力です。内装も外観に併せて機能的でシンプルなバウハウスっぽいものだと思います。ただこの流れるようなスキップフロアの構成は師匠のライト譲りであることに間違いありません。

土浦邸 中二階ギャラリーからの吹抜け 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

▲土浦邸 中二階ギャラリーからの吹抜け 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

じつはこんなエピソードも残っています。土浦が最初に建てた五反田の自邸の竣工写真を師匠ライト宛に喜んでもらおうと送ったわけですが、それが完全に裏目に出てしまいます。弟子の設計した住宅の写真を観たライトは激怒・批判し「なぜコルビュジェのようなデザインをお前はするのか」と権幕の手紙を送り返してきたということです。この手紙は現在、藤森研究室に寄贈され残っているそうです。

 

🔳モダニズム建築の普遍性をめざして

ただし、このバウハウスやル・コルビュジェに始まるモダニズム建築に、土浦は普遍性を感じており、確固たる「様式」として世界に広まることを確信していました。余談になりますが、土浦をライトに紹介した遠藤新は、「日本のライト」と呼ばれたほど師匠の作風を受け継ぎ、死ぬまでそれを背負っていました。一方、土浦はそこに限界を感じて、モダニズム世界で生きていくことを選びました。建築家の生き方も様々です。遠藤のような生き方も否定しませんが、のちの建築に大きな影響を与えたのは土浦のほうかもしれません。

 

🔳都市に建てる実験的小住宅の提示

土浦の住宅は、木造乾式構法で、断熱効果を高める工夫や、建築素材の規格化と作業効率を図り、コストを下げる工夫がなされていました。また、狭い空間を最大限に効率よく使うことも考えています。それは、都市に建てる小住宅の在り方をいち早く提示した建築家が土浦亀城で、その様々な実験的住宅が今回の「土浦亀城邸」だったのです。

土浦邸 食堂 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス居間の先にある食堂は、吹き抜けのある居間とは対照に、天井高を抑えた落ち着きのある空間になっている。

▲土浦邸 食堂 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス 居間の先にある食堂は、吹き抜けのある居間とは対照に、天井高を抑えた落ち着きのある空間になっている。

 

回転する壁面収納に収められた電話機。回転させて、台所側と食堂側の双方からとれる合理的な設計。なお家具の復刻には青島商店エムプラスに、カーテンは生地から製作まで川島織物セルコンに依頼・再現。 ※なお、妻・信子は土浦邸の設計に深く関わっており、日本初の女性建築家と言われている所以が判る。

▲回転する壁面収納に収められた電話機。回転させて、台所側と食堂側の双方からとれる合理的な設計。なお家具の復刻には青島商店エムプラスに、カーテンは生地から製作まで川島織物セルコンに依頼・再現。 ※なお、妻・信子は土浦邸の設計に深く関わっており、日本初の女性建築家と言われている所以が判る。

 

🔳日本の住宅史に欠かせない住宅としての保存活動

なお土浦亀城邸は日本の住宅史に欠かせない住宅として1995(平成7)年に東京都指定有形文化財に指定されました。さらに1999年には、近代建築の保存活動を行う世界的な組織であるDOCOMOMO JAPANによる最初の20選にも選ばれました。

幸いに今年、東京・目黒区から港区南青山の“ポーラ青山ビルディング”の敷地の一角に移築され、9月から一般の見学(要予約)が可能になりました。

安田アトリエ(建築家・安田幸一主宰/東京工業大学大学院教授・博士)が建築と監理を手掛け、6年にわたる綿密な調査により復元が実現できました。

当時の写真から図面を起こすなどで、“色彩の再現”と家具やカーペットも復原・復刻されました。約90年前の竣工時(1935:昭和10年)に蘇り、関係者のご苦労に感謝する限りです。

土浦邸 浴室 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス 浴室の壁にある、アールを描くタイルは、残っているタイルをもとに3Dプリンター技術を用いて製作。ほとんどのタイルは、新たに焼き直ししたとのことである。

▲土浦邸 浴室 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス ▲浴室の壁にある、アールを描くタイルは、残っているタイルをもとに3Dプリンター技術を用いて製作。ほとんどのタイルは、新たに焼き直ししたとのことである。

 

土浦邸 台所 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス当時の一般的な家庭の台所は土間にかまどで、冷蔵庫もなかった時代にシステムキッチンを採用。 土浦夫妻が使っていた食器などの生活用品も生前使用していた位置に戻し、長く住まわれていた生活感が感じられるようになっている。

▲土浦邸 台所 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス 当時の一般的な家庭の台所は土間にかまどで、冷蔵庫もなかった時代にシステムキッチンを採用。 土浦夫妻が使っていた食器などの生活用品も生前使用していた位置に戻し、長く住まわれていた生活感が感じられるようになっている。

 

女中部屋に造り付けのアイロン台を開く土浦信子 1935年(竣工当時)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

▲女中部屋に造り付けのアイロン台を開く土浦信子 1935年(竣工当時)/写真出展©土浦亀城アーカイブス

土浦邸 女中部屋 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブスキッチンの奥に位置する、ハウスキーパー(家政婦)のために設計。 大きなアイロン台は使わないときは左の壁に収納できるようになっている。

▲土浦邸 女中部屋 2024年(南青山に移築後)/写真出展©土浦亀城アーカイブス キッチンの奥に位置する、ハウスキーパー(家政婦)のために設計。 大きなアイロン台は使わないときは左の壁に収納できるようになっている。

 

🔳新しい未来の日本が目指すべき理想の生活空間へ

最後になりますが、こうした建築史における先駆性はもちろんのことですが、この住宅の素晴らしさは空間の美しさと、そこに満ちた建築家の理想、そして長く使われた家だけがもつ生活感にあります。その「確かな生活感のある空間」の土浦邸には、独自の時間が流れていて、それは古きよき日本ではなく、むしろ「新しい未来の日本が目指すべき生活空間」のように思えるのです。

余談になりますが、1992年にプリッツカー賞(建築界のノーベル賞といわれる)を受賞した建築家・槇文彦(2024年6月6日 95歳没 )が上梓した『記憶の形象』(筑摩書房1991)の中で、14歳の槇少年が自宅近くに住んでいた土浦亀城の設計事務所に勤めていた建築家・村田政眞(むらた まさちか1906年~1987年)に連れられて、竣工時に上大崎の土浦亀城邸を訪問。玄関廻りから吹き抜け空間を見たときの強烈な印象が脈々と綴られています。そのモダニズム建築の体験が、将来の進路を建築と決める重要な要因になったことも確かです。そこには「空間構成もさることながら、鉄製の細い手摺りや、白い空間に浮かびあがってくるガラスと鉄が伝える新鮮な物質性(materiality)が印象的だった」と綴られています。

このことからも、単なる過去の遺産ではなく、“現代のモダニズム建築の最前線につながっている”という点でも、この住宅が残ったことは大変意義深いことです。

9月に入り、少し涼しさを感じ始めたころを機会に、予約をしてぜひ参観させて頂こうと思います。この土浦邸は、秋から月に2日の一般公開が予定されており、1日2回~3回のガイドツアーも実施されるとのことです。

 

 

◆information

『土浦邸』 一般公開

・住所:東京都港区南青山2-5-13

・公開:9月より一般公開(月に2回、1日/2〜3回のガイドツアーを実施)

・定員:15名

・観覧料:1,500円/1人

・予約開始日:2024年9月2日から開始

 

■主な仕上げ(竣工当時)

・外壁:石綿スレート白色ネルクリート吹付

・屋根:アスファルト防水の上シンダーコンクリートモルタル仕上げ

・建具:スチールサッシュ

・居間内部:板張りにカーペット敷き

・壁および天井:テックスに水性塗料

・設備:低温自然循環温水暖房 一部天井パネルヒーティング

 

■土浦亀城邸復原・移築に関して

・復原・移築設計(建築):安田アトリエ(安田幸一主催)

・歴史考証:東京工業大学山﨑鯛介研究室、居住技術研究所、東京工業大学安田幸一研究室(長沼徹ほか)

・実測調査・実測図面・模型制作:東京工業大学安田幸一研究室

・軸組解体記録(3D測量):東京工業大学藤田康仁研究室

・木軸組調査・軸組図・伏図製図制作:後藤工務店

・構造設計:金箱構造設計事務所

・設備設計:ZO設計室

・ランドスケープ設計:ランドスケープ・プラス

・施工:鹿島建設

 

■参考にさせて頂いた資料

・藤森照信 著 「昭和住宅物語」(新建築社1990)

・槇文彦 著「記憶の形象」(筑摩書房1992)

・田中厚子 著「土浦亀城と白い家」(鹿島出版会2014)

・藤森照信 著「藤森照信 現代住宅探訪記」(株式会社世界文化社2019)

・国広ジョージ 著「教養としての西洋建築」(祥伝社2024)

・TOTO通信「現代住宅併走 41」藤森照信

https://jp.toto.com/pages/knowledge/useful/tototsushin/2018_summer/modernhouse/

・「土浦邸フレンズの活動記録2013-2020」(土浦邸フレンズ事務局)

http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53423209.html

・東西アスファルト事業協同組合講演会「建築空間と物質性について」(槇文彦)

https://www.tozai-as.or.jp/mytech/86/86_maki05.html

・住宅遺産トラスト「土浦亀城邸」

https://hhtrust.jp/hh/tutiura.html

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